2023.2.2
外国人3名を含む6名の新加入選手を迎え、総勢12名の新体制で2023年シーズンに臨むプロ自転車ロードレースチーム・ヴィクトワール広島。チーム発足以来最強の布陣を謳うほどの補強だが、中田拓也の加入は、その目玉のひとつだ。
当ブログでは今季のヴィクトワール広島最強戦士たちを順番に紹介していくが、まずはプロ入り5年、「ナカータ」の愛称でファンに親しまれる中田を取り上げる。
プロアスリートというと、幼少の頃にキャリアをスタートさせるケースが多いイメージだが、自転車ロードレース界では、意外とそれが遅い選手が少なくない。今季、ヴィクトワール広島へ移籍した中田拓也もその1人だ。
「自転車を始めたのは、高校の終わりくらいにマンガの『弱虫ペダル』を読んだのがきっかけです。勝負に対する熱量に圧倒されました。それまで自転車といえばサイクリングのイメージしかなかったので、競技があると知って「やってみたい!」と思いました。小学校から高校まで野球をしていましたが不完全燃焼で終わってしまったので、くすぶっていたのもあって。友達5人くらいでアルバイトをして、自転車を買ってレースに出よう!と盛り上がりました」
高校卒業後は、看護師を目指して専門学校に進学。自転車を購入して競技人生の第一歩を踏み出したのは、その頃だった。
「自転車を買ったショップで走行会が月に1回あってタイム計測があるんです。周りはかなり年齢が上の方が多かったし、ずっと野球をやっていたから体力にも自信があったし、優勝できるだろうと思っていたんですよね。それが、走ってみたら30人中28位とかで(笑)。自転車の筋肉はまたぜんぜん違うんだなと気づきました。悔しくて、火がつきました」
プライドを粉々に打ち砕かれ、心が折れるどころかかえって負けん気に火がついた18歳の中田少年。そこからプロを目指して練習に打ち込むようになり、地元・福岡のチーム、VC福岡に所属してレースにも出場しはじめた。
才能は、すぐに開花した。2016年3月、九州チャレンジサイクルロードレースのU-23(23歳以下の部)で優勝を飾ると、わずか3ヶ月で男子アマチュアトップカテゴリーのE1にジャンプアップし、8月にはJプロツアーへ出場を果たした。
初めてのプロツアーは、130人中129位と惨敗。再び大きなショックを受けた中田は、知人のツテをたどって自転車競技の本場・ベルギーへ渡り、1ヶ月半の修行に臨む。3日に1回というハイペースで開催されるレースでもまれ、帰国後はJプロツアーで20位以内の成績を安定して残せるほどまで成長した。
更なる進化を期し、日仏混合チームのインタープロサイクリングアカデミーへ移籍すると、今度は3ヶ月のフランス修行へ。イギリスやフランス、イタリアなどでレース参戦してさらにスキルを磨くと、Jプロツアーでは10位以内の順位を取れるようになった。
そこで中田は大胆な行動に出る。
憧れの野寺秀徳監督率いる名門チーム・シマノレーシングに猛アタックを開始したのだ。
「野寺監督は何度も全日本選手権を勝っている伝説的な人で、シマノレーシングは日本でいちばん強いと言われているチームです。知り合いの選手からどうにか監督の電話番号を聞き出して、何度も電話をかけたし、メールもしました。あと、履歴書をあらかじめ50枚くらい書いておいて、レースが終わるたびにリザルト(結果)を書き足して手渡しました」
果敢な売り込みは実り、2017年夏、合宿への帯同が許された。苦いプロツアーデビュー戦から約1年後のことだった。合宿やレースでは、今度は言葉ではなく走りでしっかりアピール。中田は、2018シーズンからシマノレーシングの一員として青いジャージ(ユニフォーム)に袖を通すこととなった。
しかし、である。
山あり谷ありが、この男の人生のようだ。
念願のシマノ入団を果たして張り切りすぎた結果、シーズン開幕前の春に腰を怪我。いきなり大ブレーキをかけてしまった。
それでもなんとか盛り返し、11月には国際レースであるツール・ド・おきなわで7位に入って国際自転車連合・UCIのポイントを獲得。新人賞にも輝いた。
「野寺監督の期待に応えられて良かった」
そう喜んだのも束の間、2019年は開幕戦でヒザ(腸脛靭帯)を痛め、1年半の戦線離脱を余儀なくされた。ようやく復調した頃には、新型コロナウイルス感染拡大によるシャットダウンで国内外のレース開催が1年間ストップ。
再起をかけてトレーニングコーチと契約し、基礎から体を作り直したが、またしても頑張りすぎてしまい、再びヒザを痛めてしまう。結局、2021年はスタッフとしてチームのサポートに徹することになった。
「精神的にもキツかったです。結局、4年在籍したシマノをクビになってしまい、2022年は古巣のVC福岡に移籍しました。ようやく走れると思ったら今度はコロナにかかって、息ができなくなるほど重症化してしまって…。息切れもするし自転車に乗れるような状態ではなかったです。引退しようと思いました」
観客やメディア関係者の前では、いつも明るく元気いっぱいな“ナカータ”。恵まれた環境で順風満帆な競技人生を送ってきたのだろうと思っていたが、実際は数多の試練に直面し、もがき続けた選手生活だったようだ。
プロ入り5年、心身ともにダメージを負って幕引きを考え始めた中田に一筋の光をもたらしたのは、誰あろうヴィクトワール広島の中山卓士監督だった。
「中山監督には、シマノに入る前から広島に来ないかと誘っていただいていたんです。その後も毎年声をかけてくださって…。コロナの後遺症がある話をした時も『大丈夫だよ。まだ辞めるべきじゃない』と背中を押してくれました。そんな中山監督の仁義に報いる気持ちで、秋から準備してきました。このチームで結果を出したいという気持ちが強いです。
今年のヴィクトワール広島は総合的に強い選手が多いですが、スプリントに関してはチーム的に発達しきれていないと感じているので、僕がスプリンターとしての役割を担えたらと。JCL(ジャパンサイクルリーグ)でのリーグ優勝というチーム目標に向けて、そのピースの一つになれればなと思っています」
戦国時代の歴史が大好きで「広島といえば毛利家。いろいろ見て回りたくて楽しみ」と目を輝かせる中田。練習環境を含めて新天地・広島には好印象を抱いているようだ。
「雄大な自然と活気ある街や人がいい具合にミックスされているなという印象です。練習環境も申し分ないと思います。このあいだは林(伶音)くんに案内してもらって緑化センターまで行ってきましたが、僕ら自転車に対して車も人も優しくて、ストレスなく練習できました。
あと、スポーツ界の盛り上がりをすごく感じますね。
僕、マツダスタジアムめちゃめちゃ行きたいんですよ!観戦に適している造りだと聞いていますし、赤い人たちがゾロゾロ歩いているのも見て『すごいな』と思っていたので。現役の頃から黒田(博樹)さんが好きで、僕もピッチャーだったので通じるものを感じていました。願わくば始球式に呼んでほしいです。肩作って行きますよ(笑)」
自転車ロードレースの広島大会も、もちろん忘れてはいけない。
今年も「JCLプロロードレースツアー広島大会」が7月に開催される予定だ。8日(土)は三原市・佐木島での「佐木島ロードレース(仮称)」、翌9日(日)は広島市西区商工センターでの広島クリテリウムという2連戦。中田は「ぜひ現地観戦を」と地元スポーツファンへラブコールを送る。
「自転車ロードレースを知っている人も知らない人も、まずは『声が大きい人がいるなぁ』みたいに思ってもらえたらいいかなと。レース前のプレゼンテーションでは、いつも『ナカータです!一緒に盛り上がっていきましょう!!』という感じで挨拶をしますが、間近で観戦できるので、ぜひ一緒に盛り上がってほしいですね。自転車ロードレースは、極限に体力を使って必死に走る、過酷な競技です。観戦する際は、選手たちの必死な表情や、速さを体感してほしいです」
取材・筆者:きたのまゆみ
【プロフィール】
ライター、東京都荒川区出身
在京中はスポーツを主なフィールドに、雑誌、新聞やウェブなどで取材・記事執筆。
広島移住後は、約2年間にわたりヴィクトワール広島のチーム運営スタッフとして企画広報を担当。現在は、タウン情報誌やウェブを中心に活動中。