2023.4.5
昨シーズンから2季連続でヴィクトワール広島のキャプテンを務める阿曽圭佑。
チームに加入した2021年は、大田原ロードレースで優勝を飾り、JCL個人ランキング3位につける活躍を見せた。翌2022年も、国際レースであるUCIツール・ド・おきなわ2022で9位、国内プロリーグ・JCLユーユーレンティアオートポリスロードレース3位など存在感を示している。
在籍3年目、チームの顔としてさらなる高みを目指すエースに、過去と今、そして未来を語ってもらった。
自転車を始めたのは、高校1年生のときだった。
「きっかけは、ダイエットですね。めちゃめちゃ太ってたんで」
インタビュー冒頭から意外すぎるエピソードが飛び出し、メモを取る手が止まった。
当時は今より体重が10kg以上重く、二重アゴだったという。
似たような体型だった同級生が急に痩せたことに驚き、その理由が自転車だと知って、高校の自転車競技部に体験入部した。
「自転車、面白いなと思いました。最初は、もちろん乗ることも楽しかったんですが、痩せることに重きを置きながらやっていた感じです。ローラーでめっちゃ汗かいて、どんどん痩せていくのが楽しかったですね。一気に58〜59kgくらいまで減って、ガリガリになりました」
強くなりたいと思うようになったのは、インターハイなど全国大会にも出場するようになり、成績が出始めてから。全国大会での優勝経験はなかったものの、県内大会などでは優勝を含め上位入賞を重ねて、スポーツ推薦で中京大学へ進学した。
自転車競技部には、中根英登氏や榊原健一氏など強い先輩がおり、ベルギーを拠点に活動するチーム・NIPPOユーラシアのトレーニングに参加したりアドバイスを受けたりする機会もある恵まれた環境だった。同級生にも強豪がいたため「みんなで強くなろう」と互いに切磋琢磨しながら練習に取り組んだ。
プロ選手になろうとは、思っていなかった。
両親と兄姉が内科や整形外科の医師、弟が歯科医を務める医療従事者一家で、阿曽本人も中京大学卒業後は歯科医になるための学校に編入するつもりでいたという。自転車選手は、それまでの期限付きと決めていた。
しかし、学生代表としてアジア大学選手権に出場し、世界大学選手権には日本代表選手として臨んだほどの選手である。ベルギーやオランダなど自転車競技のメッカとも言える土地でのレースを何度も経験し、国内でのUCI国際レースも含めて、上位に名を連ねることもあった。そんな阿曽を、周りが放っておくわけがなかった。
フランスのチームから声がかかり、国内プロリーグに参戦するべく設立準備中だったキナンサイクリングチーム(現・キナンレーシングチーム)からも打診があった。在学中からキナンのクラブチーム・AACAに所属していたこともあって、心は揺らいだ。
「大学4年の10月頃、キナンができるという話を聞いて、そこから悩み始めました。医療系の大学に編入するか、プロになるか、海外でやるか。その3択で悩んで、結局、日本でプロになることを選びました」
考え抜いた末に選んだ道だったが、プロ生活は「めっちゃもまれました」と本人も苦笑する波乱のスタートだった。
「今みたいに情報が満ち溢れた世界じゃなかったのでわからないことも多くて、プロの厳しさとかチームプレーの難しさとか、洗礼を受けました。厳しい先輩が多かったし、自分も反抗的というか、人にアレコレ言われるのが嫌で、言うことを聞きたがらなかったのもあって…若かったですね(笑)。おかげで先輩に指導してもらえる機会が多く、鍛えられました。いい経験をさせてもらったと思います」
キナンで3シーズン走ったあと、阿曽は「さらに上を目指したい、海外に行きたいという気持ちから」ステップアップのため愛三工業レーシングチームへ移籍する。伝統ある強豪チームでさらにもまれ、愛三工業がスポンサーをしていたNIPPO・ヴィーニファンティーニ・エウローパオヴィーニの合宿に参加するなどして研鑽を重ねた。
2019年にはフランスに渡り、現地のレースで表彰台に上がる活躍も見せた。1年が過ぎ、在仏チームと新たに契約を結ぶ話も進んでいた。
いよいよここからが自転車人生の本番!という局面で、思わぬ障壁が阿曽の前途をふさいだ。
「コロナが……」
パンデミックの影響でロックダウンが続き、レース活動はおろか練習さえそれまで通りにはできなくなった。阿曽のヨーロッパでのチャレンジは、強制終了させられた。
「(フランスに渡ったのが)27歳の時だったので、年齢的に、ヨーロッパで挑戦するには遅かったというのはあります。実際、年齢で断られることもありましたし…。ヨーロッパの壁の高さを感じましたね」
かくして阿曽は、日本国内へカムバックすることとなった。ヴィクトワール広島へ加入したのは、2021年2月のことだった。
「競輪に行こうかと思って、2020年に試験を受けました。(合否の)結果が出るのが2021年1月だったんですが、試験を受けているときから中山(卓士)監督には声をかけてもらっていて。2次で落ちちゃって、来年もう1回受けるか考えた結果、『ロード選手としてもう1回やろう』と決めました。
もう1回この道で、と自分で決めたからには成績を出さなければいけないと思っているので、めちゃくちゃ練習してます。センスも素質もないんで、人一倍やって、努力でカバーしないと。どうしたら強くなれるかをひたすら考えて、がむしゃらにやるしかないと思ってます」
今季はチーム在籍3年目。4月14日の誕生日で、31歳になる。プロアスリートとして、決して若いとは言えない。そろそろベテランに数えられる世代である。
「年齢を重ねてさらに強くなれるかは、その人によると思います。身体能力は落ちるかもしれないし、だんだん嫌になることが増えて『がむしゃら』だけではやっていけなくなっていくと思うんですけど、目標がしっかり定まっていて、それが見えていたら多分できるんだと思います」
年齢を重ねるとともに、下降の一途をたどる体力と引き換えに得られる、経験値や調整力。それらを新しい武器として磨けるかが、フィジカル面でピークを過ぎたアスリートの選手生命の鍵を握る。当然、ただ選手として生き長らえることではなく、表彰台の頂点を狙ったり世界トップレベルで戦うことに照準を合わせているわけだから、生半可なことではない。
今季は、チームとしても積極的に国内外でのUCI国際レースに出場する意向だ。阿曽もそのために準備を重ね、「20時間くらい乗っても大丈夫な体を作ってきた」と自信をのぞかせている。
その言葉を裏付けるように、2月18日、シーズンインを前に東京駅前で行われた「丸の内クリテリウム」では3位入賞。仕上がりの良さを証明してみせた。
3月12〜16日はチーム初の海外遠征となるツール・ド・台湾に参戦し、25日の真岡芳賀ロードレースで国内プロリーグ・JCL(ジャパンサイクルリーグ)が開幕した。
いよいよ始まった今シーズン。ヴィクトワール広島はチームの年間総合優勝(年間ランキングトップ)のほかに、阿曽のオリンピック代表選出という大きな目標を掲げている。
「これからチームが大きくなってステップアップしていくためにも重要なことだと思うし、自分としてもそれがモチベーションになって、練習がきつくても頑張れるところはあります。オリンピックを目指すからにはJCLのリーグ内でも成績を残し、国際レースでも(成績によって与えられる)UCIポイントをしっかり取っていかないといけません。個人的には、もう1回JCLで勝ちたいし、全日本チャンピオンになりたいという目標もあるので、そのための準備を、しっかりしてきています」
次戦は、5月21日からのツアー・オブ・ジャパン(TOJ)。大阪から東京まで、8会場で連日レースを行う8日間にわたる国際大会だ。その後は、阿曽の地元・三重県でのTOUR de KUMANO、全日本選手権、JCL広島大会と大事なレースが続く。国内外の猛者たちが集まる厳しい戦いであることは間違いないが、阿曽とヴィクトワール広島の快進撃に期待したい。
取材・執筆:きたのまゆみ
【プロフィール】
ライター、東京都荒川区出身
在京中はスポーツを主なフィールドに、雑誌、新聞やウェブなどで取材・記事執筆。
広島移住後は、約2年間にわたりヴィクトワール広島のチーム運営スタッフとして企画広報を担当。現在は、タウン情報誌やウェブを中心に活動中。