2023.6.8
2022年シーズンからメカニックとしてヴィクトワール広島に所属している伊藤界円。
メカニックとはどのような仕事なのか、どのような経緯でメカニックとして働くことになったのか、話を聞いた。
「かいえん」という珍しい名前は、漫画のキャラクターから取られたもので、「世界を円くおさめる」という意味を持つという。町工場が多く立つ下町、東京都大田区出身の27歳だ。
自転車に興味を持ち始めたのは、中学生の頃。衛星放送でツール・ド・フランスの中継を見たことがきっかけだった。
「メカニックがいることや、日本人でも行ったことがある人がいる(レースだ)と知って、興味を持ちました」
中学2〜3年生の頃からは父に連れ出されてサイクリングを始めたが、競技者になるという選択肢はなかったようだ。手先の器用さや、ものを作ったりいじったりするのが好きという性分もあって、高校卒業後はじわりじわりとメカニックへの道を歩んでいく。
地質学を勉強するべく挑戦した大学受験に失敗し、浪人中に大手チェーン自転車店・Y’s Roadでアルバイトを始めたのが業界への入り口だった。働くうちに心境の変化があり1年後には、自転車のフレームを作るビルダーやメンテナンスをするメカニックなどを育てる「東京サイクルデザイン専門学校」へ入学。2年生の時にはアメリカの自転車メーカー・TREK(トレック・バイシクル)で1ヶ月間インターンを経験し、人事担当者に直談判してアルバイト採用を勝ち取った。卒業後はそのまま就職して、3年間勤務した。
「浪人中に勉強する意味がわからなくなってしまって…(笑)。Y’s Roadでは主に接客だったので、本格的にお客さんのバイクをいじるようになったのは、TREKでバイトを始めてからです。学校の3年目は自転車を作ることに特化した学習内容で、卒業制作で1台作り上げましたけど、いじる方が好きだなと改めて思いました」
メンテナンスにより興味惹かれた伊藤は、次第に「レースメカニックを深く掘り下げていきたい」と思うようになった。勤務先にTREKを選んだ理由も、そこにあった。
当時、TREKの契約選手には国内外で活躍中の別府史之選手がいた。全日本選手権に出場する際はTREK JAPANがサポートし、直営店のメカニックが何人か帯同することになっていたため、その一員となれる可能性に淡い期待を抱いたのだ。
結論から言うと、そのチャンスに恵まれないまま別府選手は移籍。レースで選手を支える仕事に就けるチャンスは、限りなく少なくなった。
「(本拠地であるアメリカの)TREK USに行けば(レースメカニックができる)可能性もあって、それも選択肢の一つではありましたが、ハードルは高いなと感じました。競技をやっていたわけでもなく、プロチームに繋がりがあるわけでもなかったので、自分から動かなきゃダメだなと思って、いくつかの国内チームにメールで連絡をしたんです。その中で真っ先に返信をくれたのが、ヴィクトワール広島でした」
かくして2022年シーズンからチームの一員となった、伊藤メカ。普段はチームのスポンサーであり、広島県内に14店舗を展開する大手自転車店・サイクルショップカナガキに勤務しながら、チームメカニックの業務も行なっている。
「お店では、お客様が安全に快適に自転車に乗れるようサポートさせていただきますし、メンテナンスしなくても何ヶ月、何年とその状態をキープできることを目指します。でも、選手の自転車は、多少リスキーでも性能を100%、120%発揮することが求められます。レース中にトラブルが起きなければいいので、それを考えてバランスをとります。同じ『自転車』を扱っていても、心構えは違いますね」
プロ自転車ロードレースチームのメカニックに与えられたミッションは、所属選手が乗る自転車を常にベストな状態に保つこと。
シーズン前は、新加入選手のバイクを組み立てて、ポジション出しをするところから始まる。シーズンが始まれば、レースごとに選手の要望にも耳を傾けつつ、コースに応じた自転車の準備をして、遠征先へ帯同する。
「レース前日の午後、ホテルに着くんですが、部屋に行く前に洗車をします。車の上に積んで移動するので、結構汚れるんですよ。チームカーも、洗車します。スポンサー名がたくさん入った大切な車で、看板でもあるので、汚いままにはしておけないので」
長距離移動で固まった体をほぐすため、選手たちは到着後すぐに「脚を回す」。1〜2時間ほどホテル周辺を自転車で走ったり、ルームランナーの自転車版とも言える「ローラー台」に自転車を載せてペダルを回すのだ。その間はスペアバイクのメンテナンスやチームカーの洗車をしながら待ち、選手が戻れば全員分の自転車を洗って翌日のレースに向けてメンテナンスをする。作業が終わる頃には23時を回ることも少なくなく、日付が変わることもある。
翌朝は5〜6時に起きて準備を始め、レース中は、チームカーの後部座席で戦況を見ながら「万が一」に備える。チームカーがコース上を走らないクリテリウムでは、トラブルに備えてニュートラルゾーンで待機する。
コンマ何秒を争う現場では、トラブル対応も時間との戦いとなる。しかも、そこにあるもので対処しなければいけない。メカニックも真剣勝負だ。「レース現場は学びがいっぱい転がってる」という伊藤の言葉には、実感がこもっていた。
戦いを終えてホテルに戻れば、再び深夜まで洗車とメンテナンス作業が待っている。
連日、早朝から深夜までフル稼働の過酷な仕事ではあるが、「遠征に行っている時が一番楽しい」という。
「目に見えない大変な仕事ではあると思いますが、どこのチームも同じ。みんな近くで作業しているので、他チームのメカニックとのコニュニケーションが増えますね。大事な情報交換の場です。
夢に描いていたものと実際のギャップは、もちろんあります。しんどいことも多いですけど、想像していなかった楽しいことも多いです。監督や選手と言い合いみたいになることもありますが、ぶつかることなく裏で不満を言われるよりはいいと思っています。要望は言ってくれる方が嬉しいですね」
一言で言えば、縁の下の力持ちである。表舞台でスポットライトを浴びることはない仕事だが、それこそが伊藤の望むことだという。
「目立たない仕事だからこそ、大切な仕事だと思っています。むしろ自分は目立ちたくなくて、裏方で支えたいです。
一番やりがいを感じられるのは、勝ってくれることですね。(国際レースで上位に入って)UCIポイントを取ってくれるとか。選手たちが『ありがとう』と言ってくれるのも、嬉しいです。カーター(ベトルス)やベン(ダイボール)も、お礼を言ってくれます」
念願のレースメカニックとして活動を始めて、まもなく1年半になる。これからもキャリアを重ねていきたいとまっすぐな眼差しで語りながら、一方で伊藤は「ここがゴールじゃない」とも言う。
「自分のお店を持ちたいです。自分のブランドを立ち上げてゼロから自転車を作るのもやりたい。店の工房があって、隣にカフェがあって…。何年後になるかわからないですけど」
もうすぐ10年を数えようという自転車店での勤務経験に加え、プロ選手の真剣勝負を支えるレースメカニックの経験も重ねつつある伊藤。さらに数年の「修行」を経たら、きっと頼りになる自転車スペシャリストになっていることだろう。しばらく先のことにはなりそうだが、未来の夢実現も楽しみだ。
取材・執筆:きたのまゆみ
【プロフィール】
ライター、東京都荒川区出身
在京中はスポーツを主なフィールドに、雑誌、新聞やウェブなどで取材・記事執筆。
広島移住後は、約2年間にわたりヴィクトワール広島のチーム運営スタッフとして企画広報を担当。現在は、タウン情報誌やウェブを中心に活動中。